沿革
昭和28年7月18日。有田川流域を襲った、かつて誰も経験したことのない未曾有の大水害。
その降水量は1日500mmを超えると言われ、和歌山県史上最悪の気象災害となりました。
この水害で多くの財産、そして、何より尊い命をこの水害が奪っていきました。
死者・行方不明者は1,000人を超えました。
地元では、二十八水(にじゅうはっすい),7.18水害(ななてんいちはちすいがい)と呼ばれています。
この水害のあと、災害復旧事業によって、区画整備,農業用水路の整備(用水路・排水路の分離),農道の整備,換地といった一連の整備がなされ、現在のかたちとなっています。
全ての圃場は農道・用水路・排水路に接し、農業の作業性は各段に向上しました。
かつて湿田であった農地も乾田に生まれ変わり、水田耕作のみならず、畑作への転換も容易に可能なものとなりました。
そして現在ではその多くが樹園地(みかん畑)となっています。この一連の整備を行うにあたり、地域の全農家が、農家の最も重要な財産である農地をそれぞれ提供し合い、失われた財産、また、失われた尊い命のことを想い、この地域の未来のため一丸となって整備がなされたものです。
”災害は忘れた頃にやってくる”ということわざがあります。
現在の子供たち、また、その親の世代も当時の水害を知らない世代です。
日頃から災害に対する意識を高めると共に、普段なに気ない暮らしのなかで気付かされるともあまりないところではありますが、先人達の決意の元、様々な犠牲のうえに今日があることを決して忘れてはいけません。